2007年に芸能界を引退してしまった飯島愛さん。
引退の理由は腎臓病を患い、病状が悪化している事で仕事への意欲がまったく失われたと言う事でしたが、今ひとつ歯切れの悪い引退理由でした。
飯島愛最後のテレビ出演として、仲居正広の金曜日のスマ達へ(金スマ)の出演が実際にメディア最後の姿となってしまいましたが、その時に一緒に出演したのが、青森県むつ市恐山の麓で霊能力者として有名な木村藤子さんでした。
木村藤子先生がおっしゃるには、飯島愛さんは病気ぐらいで仕事をやめるような無責任な人ではないとキッパリ言いました。木村藤子先生は、飯島愛さんの引退の本当の理由がすでに見えているようですね。さすが木村の神様といったところでしょうか。
今は引退を撤回して苦難を乗り越えるべきである。そうすれば2、3年後には大きな変化がありすべてが変わる。続けて、、、今引退してしまったら、数年後に後悔する姿が見える、と木村の神様は言います。
それでも、首を縦に振らない飯島愛さんに対してスタジオ内で、無声にして説得を続けようとした木村藤子氏に対してそれは言ってはダメ…ダメ…といった訴えるような姿が映っていた。
結局、再度引退を考えた飯島愛さんだったが、その日が引退の日になってしまった。
気になるのは、木村藤子さんの言った言葉「数年後に後悔する姿が見える」と言った言葉です。木村藤子さんは、青森県むつ市恐山の麓で透視、霊脳をしている「青森の神様」「蛇の神様」と呼ばれるほどの人である。
そんな人が言う言葉だから余計、気になりますよね。
木村藤子さんが爆発的人気になったキッカケは金スマやオーラの泉に出演してから

今注目の霊能者である木村藤子氏。あの三輪明宏さんや江原啓之さんも、将来有望な霊能者と認めておられる木村藤子氏は、人気番組である仲居正広の金曜日のスマたちへ(金スマ)と言う番組に出演がキッカケで、ますます世間に名前を広められたのではないでしょうか。
ある日の金スマで「木村藤子完全版」と言う特集がありました。そこでは、霊能者としての苦悩を語られました。お金持ちになりたい、また、病気を回復させて欲しいなど、霊能者とは関係ないご利益目的の相談の多さ。。有名になってしまったがために、予約もなしに我先にと押しかける道徳心のない人たちに悩み一度はテレビ出演、いえ、霊能相談さえもやめてしまおうかと考えたそうです。。。
元々、木村藤子氏のお母様も祈祷師であり、木村藤子氏もカウンセラーでもなく、透視、霊媒、神の意思を告げるのが本当のお仕事だったはず。
ですがある日、木村藤子さん自身の「気づき」があったのでした。
相談者の気持ちを考えてあげること、聞いてあげることの大切さ。だそうです。また、別の金スマでの特集では、飯島愛さんの引退の時でした。木村藤子さんは、引退しないようにと音声を止めてまで飯島愛さんに秘密のアドバイスなどをしていました。
その時の飯島愛さんは、自分しか知り得ない事をズバリ言い当てられ、凄く驚いてました。また、木村藤子氏に「優しい、優しい」と涙ながらにずっと言っていたのを覚えています。
こんなのをテレビで見たら誰でも木村藤子さんに鑑定してもらいたい!って思うかもしれませんね(笑)
木村藤子さん、オーラの泉に出演していたことも!

この頃から激しく忙しくなってしまった木村藤子さん。
人気女性誌に掲載された事に増して人気番組「仲居正広の金曜のスマたちへ」の出演加えて、オーラの泉で、幅広い年齢層の人に知られる事になったのではないでしょうか。
オーラの泉に出演した際、美輪明宏は「信頼できる数少ない霊能者の一人です」とおっしゃった。美輪明宏が認める数少ない霊能者の一人ということもあり、当時の注目度は凄かったですよね。
木村藤子さんは、青森県むつ市で生まれで母親は祈祷師でした。娘の藤子さんも20歳ごろ、予知、透視の力を持ち、母親のあとを継ぐ事になったのです。
一方、家庭ではご主人や子供達の面倒を見る主婦でもああります。主婦でありながら、世の中に多大な貢献をしてるというのは、本当に頭が下がります。。
青森県むつ市内のデパートで催されたアミメニシキヘビのショーで蛇が逃げ出した事で全国区で話題になった時、蛇の居場所を言い当てたのは、この木村藤子さんであったのは有名な話ですよね。それ以来、地元では「キムラの神様」「ヘビの神様」と呼ばれるようになりました。
難事件解明に協力し実力を発揮している木村藤子さんですが、このオーラの泉や金スマなどの出演を期に、連日予約でいっぱい…となってしまったのは、皮肉というべきなのでしょうか。
さらに、2007年5月には「気づきの幸せ」と言う単行本も出版しています。
以前は電話での相談も受けていたのだが、今では予約する事もままならない状態。それでも、相談者は増える一方で、さすがオーラの泉で認められた霊能者ということでしょうか。